神楽の歴史 広島県の神楽の歴史 新舞・旧舞について


神楽の歴史
  神楽は元来、太古の人々は無病息災、魂の若返りを願って踊られ、この鎮魂玉振の呪術が各種の神事芸能のおこりであろうと言われています。

  そして奈良時代、神代の成立を歌舞で表現され、神楽の成立から平安初期には、神楽も儀式的なものと、猿楽(もともとは神楽の後の余興)とから連立して始まり、鎌倉時代には猿楽能と言われ能、謡曲狂言が発達して来ました。

  中世期に至って、神楽もこの能、謡曲の演目から神楽化されたものから、室町時代から江戸時代にかけて、神話、伝記、歴史からと演目は次々に生まれて来ました。

現在の演目には、神話が基になっているもの(例、岩戸、神武、八岐の大蛇、日本武尊等)能、謡曲の演目から神楽化されたもの、近世に至って創作されたもの等と古来の儀式舞を含めて多様になりました。





広島県の神楽の歴史
 広島の神楽のルーツは島根県八束郡鹿島町の佐陀神社(佐太神社)ではじまった佐陀神能であるといわれています。
  佐陀神能とは佐陀神社の神楽師、宮川秀行が神話や諸社の由緒縁起等を題材として猿楽能的に仕組んだもので、中でも重要なものは「七座の舞」と言われ、幣・榊・鈴・茣蓙などを採物とし儀式舞として舞われていました。
  そして、これに加えて余興的な意味合いとして、神話などの内容を取り込んだ能である「荒神」、「恵比寿」などが現在でも舞われています。

  しばらくして佐陀神能は飯石郡経由で島根県邑智郡に伝わり大きく二つに分かれました。一つは邑智郡石見町矢上を中心として発展した矢上舞で、もう一つは邑智郡羽須美村阿須那を中心として発展した阿須那手です。
  矢上舞の楽は六調子でゆったりしたもので、舞もゆったりしています。

  この矢上舞はその後島根県瑞穂町を経由して広島県千代田郡千代田町に、あるいは島根県桜江を経由して広島県山県郡大朝町に伝わった後、山県郡一体に広まりました。
阿須那手の楽は八調子で比較的早い楽です。
  阿須那手は江の川を経由して双三郡作木村、高田郡高宮町川根に伝わって、双三郡北部と高田郡で広まり高田舞と言われるようになりました。

  これが広島で舞われている主な神楽です。





新舞、旧舞について
  旧舞、新舞の分類として一般的には『旧舞→矢上系六調子(矢上舞)』、『新舞→高田系八調子(高田舞)』として分類されがちですが実際の分類としては『太平洋戦争前に創られたもの→旧舞』、『太平洋戦争後に創られたもの→新舞』と分類されるそうです。ですから矢上舞の新舞や高田舞の旧舞も実際にはあるそうです。
  例えば塵倫は矢上舞では鬼が一匹しか出てきませんが高田舞になると三匹でてきます。ですが、これは昔から鬼は三匹でるものであり、改編などは行われていないので旧舞になります。

  その他高田舞での旧舞を挙げるとすると、「八岐大蛇」、「塵倫」、「鐘馗」、「神農」、「八幡」などの儀式舞の各種です。
  矢上舞の新舞は基本的にはありませんが、競演大会等で注目を浴びた高田舞の新舞を六調子の矢上舞で舞う団がまれにあるらしいです。

参考文献:新泉社「古代出雲と神楽」

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